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大分地方裁判所 昭和60年(ワ)736号 判決 1991年2月14日

原告

後藤誠一

被告

佐藤順子

ほか二名

主文

1  被告らは各自原告に対し、金四二八万七六三四円及びこれに対する昭和五八年七月一四日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は三分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

4  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

被告らは各自原告に対し、金一一六七万二〇〇〇円及び内金一〇六一万〇九八六円に対する昭和五八年七月一四日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、昭和五八年七月一四日午後五時五五分頃、大分市大手町三丁目一番一号大分県庁北側交差点前路上において、被告佐藤順子運転の普通乗用自動車が中間に二台の自動車を介して原告運転の普通乗用自動車に追突したため、原告は外傷性頚腰椎症等の傷害を被り、昭和五九年一一月一九日症状が固定したが、頚部痛、しびれ等の後遺症が残つたとして、原告が、被告佐藤順子に対しては民法七〇九条に基づき、被告栗林郁子及び被告大分マツダ販売株式会社(以下「被告会社」という。)に対しては自賠法三条に基づいて、それぞれ右傷害によつて生じた損害の賠償を求める事案である。

二  争いのない事実

1  昭和五八年七月一四日午後五時五五分頃、原告が普通乗用自動車(登録番号 大分五五る八〇四六、以下「被害車両」という。)を運転し、大分市大手町三丁目一番一号大分県庁北側交差点前路上において信号待ちのため停車していたところ、被告佐藤は普通乗用自動車(登録番号 大分五六の九六九三、以下「加害車両」という。)を運転中、前方の注視を怠つたため、先行する訴外矢野止運転の軽四貨物自動車(登録番号 大分四〇け五〇三五、以下「矢野車」という。)に追突し、右衝撃により矢野車は前方の訴外河田多美子運転の軽四乗用自動車(登録番号大分五〇い二〇九一、以下「河田車」という。)に追突し、河田車は前方の被害車両に玉突き状に追突した(以下「本件事故」という。)

2  加害車両は被告会社の所有であるが、被告会社から被告栗林に対し修理期間中の代車として提供されていたところ、被告栗林は加害車両を友人である被告佐藤に一時貸与し、本件事故に至つた。

3  本件事故による損害の填補として、自賠責保険から原告に対し金一二〇万円が支払われた。

三  争点

被告らは、

1  本件事故により被害車両に加わつた衝撃加速度は〇・六九G程度であり、右のような衝撃力では原告に頚部損傷が生じることはないから、原告は本件事故により傷害を被つていない。

2  仮に原告が本件事故により何らかの傷害を被つたとしても、原告の主張する症状は愁訴及び神経症状を主とするもので、軽度の頚部捻挫の域を出るものではないから、永富整形外科病院を退院後一月を経由した昭和五八年一〇月三日頃には治癒していたと見られ、その後の症状と本件事故とは相当因果関係はない。

3  仮に昭和五九年一一月一九日までの原告の症状が本件事故と相当因果関係あるとしても、右のような治療の長期化は、永富脳神経外科病院の過剰な病名が原告にシヨツクを与え、永富整形外科病院の漫然とした定型的な投薬治療に依存する原告の心的要因と回復への自発的意欲の欠如があいまつて生じたものであるから、民法七二二条の類推適用により、被告らに対し、原告に生じた損害額の一割以上を負担させるべきではない。

と主張し、また、損害額を争い、被告会社は右のほか

4  本件事故に関し、被告会社は加害車両の運行供用者責任はないと主張する。

第三争点に対する判断

一  被告会社等の運行供用者責任

被告佐藤順子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告佐藤および被告栗林は、本件事故当時共に大分日赤病院に勤務する看護婦であり、大分市中島所在のアパートに同居して暮らしていたこと、被告栗林は昭和五八年六月三〇日頃被告会社の従業員との間で交通事故を起こしたところ、同年七月七日頃、事故にあつた自動車を被告会社に修理に出し、被告会社から修理期間中の代車として加害車両を無償で提供されたこと、被告佐藤は本件事故当日被告栗林の運転する加害車両に同乗して出勤し、勤務終了後も被告栗林と共に帰宅するつもりであつたが、被告栗林に所用が生じ、同被告から加害車両を運転して帰るように頼まれたため、加害車両を運転して帰宅途中本件事故を引き起こしたこと、被告佐藤が加害車両を運転するのはこれが初めてであつたことがそれぞれ認められる。

右事実によれば、被告栗林と被告佐藤は同じアパートに同居する同僚であり、被告佐藤は被告栗林に頼まれて加害車両を運転して運ぶ途中本件事故を引き起こしたものであるから、被告栗林は加害車両の運行に対する支配と利益を有していることは明らかであるから、加害車両の運行供用者というべく、自賠法三条により原告が本件事故により被つた人的な損害を賠償すべき義務がある。

また、被告会社は、加害車両の所有者であり、被告栗林から自動車の修理を依頼され、修理期間中の代車として加害車両を無償で貸与したものであるが、代車の貸与は被告会社の営業のために顧客に対するサービスとして行われるものであり、加害車両の貸与も短期間の貸与であるものと推認され、代車は被告会社の都合により容易に返還を求め得ることを考慮すると、被告会社はいまだ加害車両に対する運行の支配と利益とを失つていないものと認めるのが相当である。したがつて、被告会社は加害車両の運行供用者というべく、自賠法三条により原告が本件事故により被つた人的な損害を賠償すべき義務がある。

二  本件事故の状況

甲一号証、二号証、三号証の一・二、四号証の一ないし七、五号証の一・二、証人矢野止、同河田多美子の各証言、原告(第一回)・被告佐藤順子各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、被害車両を運転して大分市大手町三丁目一番一号大分県庁北側交差点前路上において信号待ちのため停止し、これに続いて河田車、矢野車ものろのろとした状態で停止しようとしていた。被告佐藤は、事故直前、道路中央車線から左側車線に進路を変更して時速約二〇ないし三〇キロメートルの速度で進行したが、後方車両に気を取られ、矢野車が停止しようとしているのに気づくのが遅れ、危険を感じてハンドルを左に切つて衝突を避けようとしたが間に合わず、加害車両の右前部を矢野車の左後部に衝突させた。矢野車は、右衝突時のろのろと進行し停止寸前での状態であつた。右衝突により矢野車は前部をやや右に振られて前方の河田車の後部バンパーの上部のリアエンジンカバー部分に追突し、河田車はやや斜め前方に押し出されて被害車両の後部バンパーに追突した。

2  原告は、右衝突時シートベルトを着用しておらず、運転席でハンドルから手を離し、膝の上に手を置いて前方横断歩道を渡る歩行者を目で追つていたが、歩行者が目の前を通り過ぎたころドーンという衝撃を体に受けた。右衝撃によりハンドルの前のライターが床に転落した。

3  右衝突により、加害車両には右前部のフエンダー、ボンネツトの変形、右前照灯の破損及び右側前ドアの変形等の損傷が生じ、その修理に約二〇万円を要した。矢野車には左後部ドア、リアバンパー、左クオターパネル等の凹損、フロントバンパーの損傷が生じ、その修理に一三万九二三〇円を要した。河田車は後部エンジンカバーが全体にわたつて凹損したほか前部にも損傷が生じた。被害車両は後部バンパーが損傷し、これを取り替えた。

4  本件事故後、被告佐藤らは警察の取り調べを受けたが、原告、矢野、河田(河田は警察での取り調べ中肩の痛みがあつたようであるが)は特に身体に異常がなかつたことから、警察の勧めで被告佐藤との間で、原告らには怪我はなく、車両の修理代金は被告佐藤が負担する旨の示談書に署名した。

なお、被告佐藤は、本人尋問において、矢野車を前方一六・五メートルに発見して危険を感じ、ハンドルを左に切ると共にブレーキをかけた旨供述し、乙イ二号証の一にも被告佐藤は矢野車を右同様の距離に認めてハンドルを左に切つた旨の記載がある。しかし、被告佐藤の供述のとおりであれば、本件事故現場はアスフアルトで舗装された道路であるから、矢野車との距離並びに加害車両の速度からすると、ハンドル操作もしくはブレーキの効果により矢野車との衝突が回避しえたのではないか、仮に回避しえなかつたとしてもかなり減速することができ、本件事故のように三台の前車を巻き込むような事故にまで発展することはなかつたのではないかと考えられる。そして、乙イ二号証の一には被告佐藤が衝突前にブレーキをかけた旨の記載もないことからすると、危険を感じた際の矢野車との距離並びにブレーキをかけたとの被告佐藤の前記本人尋問の結果は採用することができない。

また、乙ロ七号証、証人大慈彌雅弘の証言によれば、大慈彌証人は、加害車両が矢野車に衝突したときの速度を時速一六キロメートルと推定し、河田車が被害車両に追突したときの速度を時速七・四七キロメートル、被害車両に生じた衝突換算速度を時速二・九二キロメートル、衝撃加速度は〇・六九Gと算定していることが認められるが、右算定の結果を直ちに採用することができないことは後述のとおりであり、他に被害車両が受けた衝撃の強さを明確にする証拠はない。

三  原告の症状及び治療の経過

甲二ないし一五号証、一六号証の一ないし一三、一七号証の一ないし九〇、二一ないし二三号証、二四号証の一ないし九、二六号証、二七号証、二八号証の一ないし九、二九号証、三〇・三一号証の各一ないし一一二、三三号証の一ないし一八、三五号証の一ないし六五、乙ロ六号証の一ないし一六、一〇ないし一三号証、証人永富裕文、同永富整彦、同谷口一男の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)、鑑定人福井有公の鑑定結果を総合すると次の事実が認められる。

1  原告は、本件事故直後の大分中央警察署における取り調べ時には身体に異常を感じなかつたが、事故当日の午後七時三〇分頃の夕食時になつて吐き気及び頭重感を感じたので、翌七月一五日永富脳神経外科病院を受診した。右受診時、原告は頚部痛と吐き気を主として訴えており、永富裕文医師は原告に対し頚部痛に対する治療として湿布、鎮痛消炎剤・筋弛緩剤の投薬及び注射を行い、一週間分の薬を支給した。同月一八日、原告は左上肢にしびれを感じ、同月二一日には左指の痛み及び左下肢に踏ん張りが効かないと感じるようになり、同日永富脳神経外科で再度診察を受け、外傷性頚髄障害と診断された。その後、同月二八日、八月一日、三日、五日と永富脳神経外科で治療を受けたが、、五日には左顔面に痛みが生じる等症状が増悪し、同日、同病院の紹介で永富整形外科病院を受診し、同病院で神経根症状を伴う左頚腰椎症と診断され、直ちに入院した。入院時、原告は、左側の顔面・頚部・頭部の痛み、左上肢のしびれを主として訴えていた。当日のX線撮影では原告の頚部・腰部共に骨に異常は見られなかつた。同病院に入院中、原告に対しては主としてポリネツクによる頚部の固定と牽引、鎮痛消炎剤・脳細胞賦活剤等の投薬並びに注射、湿布、星状神経節ブロツク等の治療が施された。入院中、原告の前記症状は日により部分的に消失と再発を繰り返していたが、原告は、同年九月三日同病院を退院した。

原告は、退院後もしびれ感、頚部痛等を訴え、同月七日から同病院に通院し、物理療法、投薬・注射を主とする定型的な治療を受け続けたが、症状に大きな変化はなく、昭和五九年一一月一九日、頚部前屈・右屈時に左後頭部に痛みと突つ張り感、腰部の回旋・側屈時に中等度の運動制限、左上肢・下肢に疼痛としびれ感を残して症状が固定したと診断され、治療が打ち切られた(以上の間の実通院日数三一〇日)。

2  原告は、治療打ち切り後約半年を経過したころから頚部痛が再び悪化し、しびれ感も残つたままであつたので、再度永富整形外科病院に通院して牽引療法、電気治療、星状神経節ブロツク等の治療を受けたが、症状は余り改善せず、また、民間の鍼治療を受けたが、全く効果がなかつた。

3  原告は、永富整形外科病院退院後しばらくして焼却炉の設置・販売等の事業に復帰したが、前記頚部痛のため長時間継続して作業をすることができないため、平成元年五月三一月大分医科大学付属病院のペインクリニツクを受診した。同病院では、慢性痛に対して麻酔薬を使用して神経を遮断することにより、血流の改善、筋肉の緊張の除去等を図り、痛みの軽減を目指すという治療を行つていた。同病院におけるX線撮影、CTスキヤンの結果では原告の脊髄孔に狭窄はなく、頚部の骨にも原告の症状に結びつくような異常はなかつたが、原告は全身の放散痛を訴えており、同病院では原告に対して頚部硬膜外ブロツク、星状神経節ブロツク等を施した。同年六月一六日、原告は同病院に通院して星状神経節ブロツクを隔日に受け、同月二八日にはトータルスパイナルブロツク(全脊麻)を受けた。右施術直後、原告に頑固な頭痛が出現したが、同年七月四日ころから頭痛は軽減し、全身の放散痛も殆ど消失したが、左後頚部に痛みが残つた。原告は、同月一五日、同病院を退院し、以降通院治療に切り換えられ、星状神経節ブロツク等の治療の結果、平成二年一月ころ、原告の頚部痛も軽快し、現在、症状はほぼ治癒しており、作業に支障はなくなつた。

4  原告の症状は、頚部痛、しびれ等の愁訴及び神経症状を主とするものであり、原告の症状に結びつくような器質的な障害は認められず、他覚的な所見に乏しい。原告は、非常に神経質でこまかいことが気になる性格であり、大分医科大学付属病院で治療中、不安な態度、被害妄想的な発言やイライラした様子等が見られたため、同病院では原告に心身症を疑つていたが、心理テストの結果では原告が心身症であることは否定された。

四  本件事故による原告の受傷

1  乙ロ七号証及び証人大慈彌雅弘の証言によると、大慈彌証人は、主として加害車両及び矢野車の本件事故後の変形状況から加害車両の衝突時の速度を時速一六キロメートルと推定し、これを基礎として被害車両に生じた衝撃加速度を〇・六九G、右衝撃力により原告の頚部に生じた力は約三七ニユートン、原告の頚部に生じた屈曲トルクは大きめに見て約二・〇ft/lbと算定したうえ、右の程度の力では原告の頚部等に損傷が生じることはないと鑑定し、その根拠として、対剛体壁衝突実験の結果、米国ミシガン大学のフオーストの実験結果、メルツとパトリツクの実験結果等を挙げている(以下「大慈彌鑑定」という。)。

しかし、以下に述べるように大慈彌鑑定は直ちに採用することはできない。

<1> 大慈彌鑑定では、加害車両の衝突速度を加害車両の偏見状況を乙ロ七号証の添付資料4の対剛体壁の衝突の実車実験の結果に当てはめて時速一六キロメートルと推定している。しかし、大慈彌証人自身、車種、車のグレードの違いによつて衝突後の車両の変形・破損状況が大きく異なると証言しているところ、添付資料4の実験の対象となつた車両が加害車両と同種・同程度の強さの車両であることはなんら立証されていないから、右実験の結果に依拠して加害車両の速度を推定することができるか疑問といわざるを得ないので、被害車両に生じた衝撃力を算定する基礎となつた加害車両の衝突時の速度の推定は根拠に乏しいといわざるを得ない。

<2> 大慈彌証人は、被害車両に生じた衝撃力を算定するのに被害車両及びこれに直接衝突した河田車の変形・破損状況を確認していない。本件事故のような玉突き事故において最初の衝突の関係車両である加害車両及び矢野車の変形・破損状況からこれらと直接衝突していない被害車両に生じた衝撃力を推定することは推定に推定を重ねることになり、推定結果の妥当性は低下せざるを得ない。しかも、大慈彌証人は乙ロ五号証の一、二の河田車写真を見て同車の前部はほとんど変形がないと認識している(乙ロ五号証の一、二、証人大慈彌雅弘)が、乙ロ五号証の一、二によると、右写真は河田車のフロントグリルが取り外された状況のものであり、河田車のフロントグリルが損傷したことを示唆しており、右写真が衝突時の痕跡をそのまま伝えるものでないことは明らかである。また、大慈彌証人は、被害車両の変形・破損状況を全く確認していないのであるから、大慈彌鑑定の被害車両に生じた衝撃力の鑑定結果の妥当性には疑問がある。更に、大慈彌鑑定では衝突時における反発係数を〇としているが、この妥当性にも疑問が残る。

<3> 大慈彌鑑定は、矢野車が完全に停止していたことを前提として衝突により矢野車に生じた速度を算定しているが、矢野車は完全に停止する前の未だ動いているときに加害車両に衝突され(証人矢野止)ており、右の点で大慈彌鑑定は前提が誤つている。

<4> 大慈彌鑑定で被害車両に生じた衝撃力では原告の頚部等に傷害が生じるとは考えられないとする根拠は、主としてフオーストの頚部の筋力の強さに関する実験結果及びメルツとパトリツクの頚部の無傷限界に関する実験結果である。

フオーストの頚部の筋力の強さに関する実験結果によると、頭部を引つ張つたときの一般男性の頚部の筋力の強さは一五〇ないし二〇〇ニユートンであり、大慈彌鑑定による原告の頚部に負荷されたと推定される三七ニユートンはその四分の一以下の低いレベルである。しかし、右実験は一定の姿勢の志願者の頭部を真正面から引つ張つた際の頚部の筋力の強さを測定した静的な実験結果であり、ここでは一次元的な一方向に対する強さが測定されているに過ぎず(乙ロ七号証)、右実験の結果が本件事故のような動的な衝撃の場合にどのような意味を有するのか明らかではない。また、右実験の結果は米国人のものであり、日本人の頚部の筋力とどのように関係するかも明らかではない。右の各点及び原告の頚部の筋力の強さを明らかにしないまま前記実験の結果に依拠して本件事故により原告の頚部に傷害が生じるとは考えられないとする大慈彌鑑定の手法は科学的な方法とはいえない。

次に、大慈彌鑑定が依拠するメルツとパトリツクの頚部の無傷限界に関する実験結果は、自動車に乗つた志願者によるものであるから、右実験では頚部の動的な回転力に対する頚部の耐性が測定され、これによると志願者の無傷限界は三五ft/lbであり、大慈彌鑑定により原告の頚部に生じたと推定されるトルク二・〇ft/lbはその一七分の一程度の低いレベルである。しかし、右実験結果は米国人のものであり、日本人の場合どうであるのか、原告の頚部の強さはどれくらいか明らかにしないまま右実験の結果に依拠することの問題性はフオーストの実験について述べたのと同様であり、また、右実験では、志願者の姿勢、首の方向や角度等は全く捨象されていること、志願者は衝撃を受けることを予期して実験に臨んでいるのに対し、本件事故は予期しないで衝撃を加えられた場合であること等を考慮すると、右実験の結果を本件事故に直ちに当てはめることはできないといわざるを得ない。

以上のとおり、大慈彌鑑定は、その方法、根拠、前提事実に問題がある。頚椎捻挫等の頚部損傷がどの程度の衝撃で生じ、どの程度以下の衝撃なら生じないかについて定説はなく、衝撃に対する耐性も個人差、年齢差等があり、被害者の姿勢も重要な要素となるものであることを考慮すると、大慈彌鑑定を直ちに採用することはできない。

2  前示の本件事故の態様、原告は本件事故前は健康体であり、本件事故の約一時間半後から吐き気等が生じ、以降、頚部痛、左上肢、下肢のしびれが出現するなど、症状が増悪し、永富神経外科病院では外傷性頚髄障害、永富整形外科病院では外傷性頚腰椎症と診断され、治療を受けたこと、証人永富裕文、同永富整彦の証言を総合すれば、原告に頚部損傷が生じ、原告の前記症状は右障害に起因するものと考えて何ら不自然な点のないと認められること、鑑定人福井有公の鑑定結果によれば、原告の本件事故直後の一連の症状は本件事故に起因する頚椎捻挫によるものである可能性は否定しえないこと等を考慮すると、原告は本件事故により頚部等に傷害を被り、前示の治療を受けることになつたものと認めるのが相当である。

右認定に反する乙ロ七号証、証人大慈彌雅弘の証言が直ちに採用することができないことは前示のとおりであり、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

五  原告の治療の長期化と本件事故との相当因果関係

原告は、本件事故による外傷性頚腰椎症のため、永富脳神経外科病院、永富整形外科病院で治療を受けたこと、原告の症状は永富整形外科病院に入院するまで増悪の一途をたどり、同病院入院中も原告の症状は消失と再発を繰り返し、退院後は物理療法、投薬を中心とする定型的な治療を受けたが、症状に大きな変化はないまま、昭和五九年一一月一九日、左上肢等のしびれ、左後頭部痛等の後遺症を残して症状が固定したと診断され、治療が打ち切られたこと、症状固定と診断されたのちも原告は頚部痛等に悩まされ、永富整形外科病院、大分医科大学付属病院等で治療を受け、平成二年一月になつてようやく症状が軽快し、現在ほぼ治癒していることは前示のとおりである。

原告の治療期間は、症状固定と診断された昭和五九年一一月一九日まで、約一年四か月、症状軽快までの期間を加えると約六年半の長期に及んでいる。本件事故では、原告以上に強い衝撃力を受けたと推定される矢野止、河田多美子の両名が受傷していない(証人矢野止、同河田多美子)こと、被害車両の破損は後部バンパーに止まつていることからすると、原告の受けた衝撃力は比較的軽度であつたと推定されること、原告に症状の長期化に結び付くような器質的な障害を指摘することができないことを考慮すると、原告の外傷性頚腰椎症は異例に長期化しているといわざるをえない。

また、原告は非常に神経質で、こまかいことが気になる性格であり、不安を抱きやすいことが指摘される。原告の場合のような長期に残存した頚部痛等の慢性痛には心理的な要因の影響する場合の多いことが指摘される(証人谷口一男)から、原告の右のような心的な要因が症状の長期化の一因となつていることも考えられるが、原告は心身症ではないから、右心理的要因がどのように症状の長期化に影響するのか明らかではない。

そして、前示の治療の経過、原告は頚部痛に悩まされ、その治療のため新聞報道で知つた大分医科大学付属病院のペインクリニツクを受診し、危険を伴うトータルスパイナルブロツク術を受け、症状軽快に至つた(証人谷口一男、原告本人(第二回))ことを見ても原告は症状の回復に向けて努力を続けたことが窺えるから、原告の心的要因を過度に重視するのも適当とは思われない。

したがつて、原告の前示症状は本件事故と相当因果関係にあるものと認めるのが相当である。

つぎに、永富整形外科病院退院後の原告の症状は大きな変化のないまま定型的な治療が継続されているから、原告の症状は、通常の治療を前提とする限り、昭和五九年一一月一九日よりも以前に固定したと考えられないでもない。鑑定人福井有公の鑑定結果によると、福井鑑定人は、原告の器質変化としての症状は永富整形外科病院を退院した昭和五八年九月に固定したと判断している。しかし、原告の症状は、頚部痛等の痛みとしびれを主とする神経症状であり、単なる運動制限・機能制限と異なり、日々原告に苦痛を与えるものであり、原告の症状は一部消失と再発とを繰り返していたから、症状に大きな変化がないからといつて直ちに症状固定と診断することは困難であり、右症状固定の診断については現実に原告の治療に当たつた医師の判断を尊重するのが相当と考えられる。

六  損害

1  治療費 金一八八万八九八六円(請求額同じ)

原告の治療の経過は前示のとおりであり、原告は本件事故による傷害治療のため、永富脳神経外科病院に対する治療費として金九万二一〇〇円(甲三号証)、永富整形外科病院に対する治療費として金一七九万六八八六円を要した(甲七号証、九号証)から、原告の治療費は金一八八万八九八六円となる。

2  入院雑費 金二万四〇〇〇円(請求額金三万円)

原告は、永富整形外科病院に三〇日間入院したことは前示のとおりであるが、入院期間一日について金八〇〇円の雑費を要することは当裁判所に顕著な事実であるから、原告の入院雑費は金二万四〇〇〇円となる。

3  通院交通費 金一二万五八〇〇円(請求額同額)

原告は、永富脳神経外科病院に六日、永富整形外科病院に三一〇日通院したことは前示のとおりであり、永富脳神経外科病院の通院には一回三〇〇円、永富整形外科病院の通院には一回四〇〇円の交通費を要する(弁論の全趣旨)から、通院交通費は合計一二万五八〇〇円となる。

4  文書料 七〇〇円(請求額同額)

原告は、診断書料として金七〇〇円を要した(弁論の全趣旨)。

5  休業損害 金一二九万八八四八円(請求額二四四万四〇〇〇円)

原告は、ダスト工業の名称で個人で焼却炉の設置、販売修理等を業としていた者で、昭和五七年八月から昭和五八年七月までの間に総売上金額八六六万六四六〇円を得ていた(甲一八号証、原告本人(第一回))。原告は、右売上に対する経費は三七四万八〇二六円であると主張し、甲一九号証にはその旨の記載があり、おおむねこれに見合う領収書類が提出されている(甲二〇号証の一ないし一五七)。しかし、右によると、原告の営業の所得率は約五七パーセントとこの種の業種としては高率に過ぎるし、甲一九号証によると、昭和五七年八月から同年一二月までの原告の売上額(四〇〇万九九〇〇円)(甲一八号証)に対する経費が一九五万〇四一四円であり、経費率は約四八・六パーセントであるのに対し、昭和五八年一月から同年七月までの売上額(四六五万六五六〇円)(甲一八号証)に対する経費が一七九万七六一二円となり、経費率は約三八・六パーセントとなつて、前年よりも一〇パーセントも経費率が減少している点、人件費がまつたく計上されていない点はその正確性に疑問といだかざるをえない。したがつて、甲一九号証の経費の金額には疑問があり、これを採用することはできない。そこで、原告の休業損害を算定する根拠としての収入は、昭和五八年度の賃金センサスの昭和五七年「都道府県別パートタイム労働者を除く労働者の年齢階級別きまつて支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」の大分県の男子労働者の四五歳から四九歳の平均給与額を採用することとし、これを基準として原告の休業損害等を算定することとする。右によると、年間の収入の総額は金四〇〇万四二〇〇円となり、一日の収入額は金一万〇九七〇円となる。

原告は、前示のとおり、永富脳神経外科病院に六日通院したのち、永富整形外科病院に三〇日間入院し、その後、昭和五九年一一月一九日まで通院し(実通院三一〇日)ており、原告の症状等から見て、原告は入院期間中は稼働することができず、退院後、昭和五九年一一月一九日まで通院期間中、平均して二〇パーセント程度稼働することができず、右部分に相当する収入を失つたものと認めるのが相当である。

したがつて、原告の休業損害及び通院期間中の逸失利益を算定すると、金一二九万八八四八円となる。

6  逸失利益 〇円(請求額三三二万一五〇〇円)

原告は、後遺障害に基づく労働能力の一部喪失を理由として五年間の逸失利益を請求するが、昭和五九年一一月一九日以降も原告が頚部痛等に悩まされ、このため、事業に支障を生じたことは推測しうるが、原告がどの程度事業に支障を生じ、収入を喪失したかを認めるに足りる的確な証拠はなく、原告は永富整形外科病院で症状固定と診断されたのち半年間位は特段事業の支障になるような症状はなかつたこと(原告本人(第一回))、原告の症状は神経症状を主とするものであること等を考慮すると、右の事情は慰謝料を算定する際の事情として斟酌すれば足りるものと思われ、逸失利益を認めるのは相当でない。

7  慰謝料 金二五〇万円(請求額四四〇万円)

原告の被つた傷害、症状及びその程度、入通院期間、症状軽快に至る治療の経過及び前項で述べた事情等の一切の事情を考慮すると、原告の本件事故に基づく慰謝料は金二五〇万円が相当である。

したがつて、原告の本件事故に基づく損害額は前記1ないし 5及び7の合計金五八三万七六三四円となる。

七  損害の填補 金一九五万円

自賠責保険から原告に対し、金一二〇万円が支払われたことは当事者間に争いがなく、右のほか自賠責保険から原告に対し後遺症に対する給付として金七五万円が支払われた(乙ロ九号証)。

したがつて、原告が被告らに請求しうる金額は、前記損害額金五八三万七六三四円から右填補額を控除した金三八八万七六三四円となる。

八  被告らの責任の減額について

被告らは、原告の治療の長期化は、永富脳神経外科病院の過剰な病名が原告にシヨツクを与え、永富整形外科病院の漫然とした定型的な投薬治療に依存する原告の心的要因と回復への自発的意欲の欠如があいまつて生じたものであるから、民法七二二条の類推適用により、被告らの責任を減額すべき旨主張する。

しかし、原告が症状の回復に努力したことは前示のとおりであり、被告らの主張するような心的要因の存在を認めるに足りる証拠はない。

ただ、本件事故による衝撃力は比較的軽度であること、原告には症状の長期化に結び付くような器質的な損傷は認められず、原告の症状は頚部痛等の神経症状を主とするものであること、原告の前記性格的な要因が症状の長期化(治療の長期化)の一因となりうること、原告の治療は異例の長期に及んでいることは前示のとおりであるが、原告の損害の拡大について原告の心的要因の寄与が考えられるからといつて、これにより、直ちに被告らの責任の減額を認めるのは相当でない。本来、不法行為の行為者は被害者の状態をあるがままに受け入れるべきであり、被告らに原告に生じた損害の全部を負担させることが、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし不相当と認めるに足りる特段の事情のある場合に民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して損害の拡大に寄与した被害者の事情を斟酌することができるというにとどまる。本件においてあらわれた全ての事情を考慮しても右の特段の事情は認められない。

まして、原告は、本訴において昭和五九年一一月一九日に症状が固定したものとして、慰謝料及び逸失利益を請求するが、その後の長期にわたる治療費、治療中の休業損害等の全損害を請求していないから、本件において民法七二二条を類推適用して被告らの責任を減額するのは適当ではない。

九  弁護士費用

本件事案の内容等の一切の事情を考慮すると本件事故と相当因果関係にある損害としての弁護士費用は金四〇万円と認めるのが相当である。

一〇  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は被告らに対し金四二八万七六三四円及びこれに対する本件事故の日である昭和五八年七月一四日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判官 林醇)

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